top of page
執筆者の写真Dr.Klaus Schlichtmann

ドイツはウクライナ戦争を終わらせるために何ができるか

更新日:2023年4月22日


                             クラウス・シルヒトマン


「・・・現に生存している人間の連帯に反するような何ごとも政治の世界で  

 起きてはいけない」(ハンナ・アーレント)


 ドイツはその歴史的過ちを告白することができる。それが、戦争を終わらせ、未来の平和秩序を揺るぎないものにする予兆となる。ロシア皇帝ニコライ2世が招聘し、日本と中国を含む総ての文明国が参加したハーグ平和会議の例は、ドイツの軍国主義が歴史の歩みに決定的な爪痕を残したことを示している。会議の主要な議題は人道主義的な戦時国際法 ius in belloではなく戦争の廃絶 ius ad bellumそのものだった。会議は法的解決を義務づけ、武力への訴求を禁止することを意図していた。1899年と1907年の二度にわたって、国際紛争の平和的調停のために必要な仲裁裁定を強制的とする案の票決が行われた。票決には全会一致の原則が採用された。アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国が強制案に賛成した。ドイツに主導された少数国が拒否権を行使した。ドイツ皇帝は、会議の感想を次のように述べている―「信ずるものは、神とわが鋭き剣のみ。」その結果が第一次世界大戦である。ヘルマン・ヘッセは亡命先のスイスで1917年に次のように書いている。「人間は、永続しなかった平和に対して、ことのほか厳しい。永久平和が手に入らないので、一足飛びに永久戦争を引き寄せてしまった」ハーグでのしくじりを謝罪しても今はもう遅いが、それでも平和を求めるドイツの主体性にいくばくかの重みを与えることはできるのである。


 ドイツの憲法起草者は、ハーグで目指されていた平和構想を思い出して、ボン基本法24条で仲裁裁定に服する義務を定めている。それにもかかわらず、連邦共和国が同じ1949年に国際司法裁判所の裁定を受け入れる決定をしなかったことは重大な誤りである。スイスは前年にその決定をしていたというのに。


 おそらく連邦政府は、平和主義ではいかなる戦争も阻止できないということを表明したかったのだろう。今日、ドイツは日本に対して、もっと軍事にコミットするよう圧力をかけている。四方を海に囲まれたこのアジアの国は戦後の平和主義を転換して、インド太平洋地域の軍事的防衛において中心的役割を引き受け、さらには、NATOに協力しようとしている。3200億ドルに達する軍事支出が計画されている。日本はアメリカと中国についで、世界第三位の防衛予算を有することになるのである。


 戦争の廃絶は、日に日に、不可能に近づいている。韓国は、この間に核兵器の保有を検討している。それによって北朝鮮に核兵器開発計画を再考させ、同時に、この国が核開発を後退させるように中国に圧力をかけさせる狙いがある。こうした無謀な構想も、意外に、中国の支持を得られるのかもしれない。いずれにせよ、中国は東アジアに新たな核保有国が誕生することを嫌うだろうから。別の選択肢として、アメリカが韓国に核兵器を用立てることも考えられる。アメリカは、有事に、自国の核兵器をNATOの航空機に搭載させる協定をNATO諸国と結んでいるが、それと類似の、核を共同使用する協定をソウルとのあいだで結ぶかもしれない。



NATOの拡大はドイツの発案

 ドイツは今が「時代の転換期」であることを声高に主張し、自ら平和主義的と称する過去に別れを告げ、軍事予算を増やしている。あまり知られていないことだが、ドイツの国防大臣フォルカー・リューへは1993年のトラーフェミュンデでのNATO国防大臣の会合でポーランド・チェコ共和国・ハンガリーをNATOに加盟させることを提案し、アメリカがこれをすげなく退けている。ところが、6年後には、これら3か国をNATOに迎い入れるようアメリカを動かすことに成功している。ドイツのNATOへの軍事的関与を正当化するように、連邦憲法裁判所は1994年7月12日に、国連憲章とボン基本法が展望していた本来の集団安全保障を消し去り、その代わりに、仮想敵国に対する軍事的防衛に道を開く決定を下した。


 ボン基本法は、ドイツが世界平和に貢献する未来を展望していたが、それを裏切る遅延行為は枚挙にいとまがない。2008年に、ようやく多くの留保条件を付けて、国際司法裁判所の裁定を受け入れる決定をしたが、それは平和主義への志向を証明するものではなく、遅れを取り戻すものでもなかった。ドイツの再統一が、おそらく、基本法にある平和の厳命を実施する最後のチャンスだったが、それも生かされずに終わった。そもそも、1952年3月10日に連邦共和国政府と西側参加国―フランス・イギリス・アメリカ―に提議されたスターリン・ノートが憲法上の平和目標を現実化する好機としては認識されていなかった。誰も統一ドイツを望んでいなかったし、ドイツを、オーストリアが後にそうなるような、中立国にすべきだとは思っていなかったので、提案は空振りに終わった。西側の三つの大国は交渉に応ずる用意があったらしいが、時の首相コンラート・アデナウアーが、はっきりと内閣に諮ることなく、拒否する決定を下したのである。提案は同年の4月9日、5月24日、8月23日と、計4回も繰り返された。悲しいかな、当時は、スターリン・ノートが、真の集団安全保障と軍備縮小を引き寄せる憲法上の義務を履行する可能性を立法者に対して開くなどということを誰も思いつかなかった。


 国連憲章の24条は国連加盟国が「国際連合の迅速かつ有効な行動を確保するため」「国際の平和および安全の維持に関する主要な責任」を安全保障理事会に委ねることを定めている。この規定が実施されていないことははっきりしている。1985年にフランスで出版された国連憲章の注釈集が、24条について「加盟国による権限の移譲」が必要である、と解釈していることは、この規定の趣旨に沿うものである。こうした解釈は、1946年にフランス社会党によって書かれた憲法条文が「フランスは相互性の条件のもとで平和の組織化および防衛に必要な主権の制限に同意する」と定めていることと呼応している。ちなみに「相互性」が意味する相手国は主にドイツである。


 そうした移譲法案のなかに、どのような平和に関する政策目的が書き込まれうるかを考えるだけで胸の高鳴りを禁じえない。「われら国際連合の諸国民」と市民運動、草の根運動が上述の過程を促進し、民主主義的にこれに同伴するために、どのような寄与をなしうるか。これは思考をそそるテーマである。


 1990年にドイツで出版された国連憲章の注釈集は、ドイツが平和の主導権を取れば成功しただろう、まさにその年に、明らかに意図的に、フランス解釈を否認している。ボン基本法の24条に対応する国連憲章24条についてのドイツ側の注釈は「平和の維持という領域での安全保障理事会の権限は加盟国の側からの権限移譲を前提にしている。各加盟国は憲章24条1項が意味するでところに従って安全保障理事会に主権の一部を移譲しなければならない」というフランス解釈を認めない。24条の「規定の正確な分析」からは「そうした解釈」は出てこない、したがって、ボン基本法24条1項に従って新たな法案を可決することは無用である、というのである。これは、普通に考えて、筋が通らない話である。もしそうなら[=ドイツ解釈が主張するように、国連加盟国は、加盟した時点で、すでに自動的に権限を移譲しているのだとしたら]国連の安全保障体制が機能し、各国はすでに、憲章26条にある通り、軍備を「最小限」まで縮小しているはずであろう。国際法学者クヌート・イプセンは1993年4月13日に著者に宛てた私信のなかで、フランス解釈を支持している。「わたしは諸国が、平和の維持に関する主要な責任を、主権の移譲という意味で、すでに安全保障理事会に委託しているという見解を取りません。そうしたことは、諸国が今日まで手中にしていたある権限を、法にのっとって、権限領域のなかから抜き取って国連へ手渡すことが前提になるでしょう」実際、ドイツ社会民主党、自由民主党、キリスト教民主同盟の一部は80年代、90年代に立法府での発議を真面目に検討していたのである。1985年の時点では「緑の党」だけが、次のように筆者のもとへ書き送ってきた。「平和構築の基本要素としての国連安全保障理事会への主権の移譲については、とても党内合意が得られる環境ではありません。件の発議は、現実政治(レアルポリティーク)の常套句を使わせてもらえば、<時期尚早>ということです」。


危険な結果としての不安定化

 普遍的に妥当する集団安全保障に対するドイツの拒絶は結果を生まずにはいない。第一に、基本法を毀損し、基本法の命ずる連邦共和国の平和志向的な秩序が、根底から問題視される。SNSを少しのぞいてみただけで明らかなことがある。ウクライナもそうだが、中国とロシアも国際連合の枠組みでの共同安全保障体制を引き寄せようと努めていたことである。2022年の3月のウクライナ大統領の公式ウェブサイトのタイトル自体が「ウクライナは世界の主要国の協力のもとですべての近隣諸国と集団安全保障協定を結ばなければならない」となっている。「それはウクライナにとってだけでなくロシアにとっても保障になる」とヴォロドミル・ゼレンスキー自身が語っている。その際、ゼレンスキーはプーチンを後追いしているように見えた。プーチンも、以前からしばしば、西側諸国が「新時代的で非ブロック的な集団安全保障体制」をロシアとの間で構築しようとする用意ができていないと非難していたからである。


 ヨーロッパ諸国とりわけドイツ連邦共和国は、2023年の中国とロシアとの関係が、複数のアナリストが予想しているように悪化することを防ぐために、どのような施策が必要かを熟考する必要がある。ウクライナでの戦争が拡大し、長期戦へと発展して中国をも巻き込む危険を回避するために、連邦政府は国連憲章のフランス解釈が示唆するような立法措置を考慮する必要があるだろう。2022年11月の北京での講演で、韓国の政治顧問 文正仁Moon Chung-inは次のような警告を発している―「今日わたしたちは世界のこの一角でふたつの統一しがたい勢力の衝突を目の当たりにしています。すなわちアメリカを中心とする同盟関係を土台とする集団防衛と中国の展望する国連憲章を土台とする集団安全保障体制です・・・世界をリベラルと非リベラルのふたつの国家群に分割することはミスリーディングであるばかりか不安定化につながる」


 将来の、平和を保証できる、連邦的に組織された世界秩序の真の徴表は、現実に機能する集団安全保障体制である。残念ながら、ヨーロッパ諸国とくにドイツは、その実現に関与しようとする準備ができていない。ドイツは、ボン基本法に従って、相互安全保障と軍縮へと向かう移行過程を開始しなければならないだろうし、かりにそうなったら、憲法に類似の規定を有するほかのヨーロッパ諸国がこれに追随するであろうのに。今や、第三次世界大戦を阻止しようとする国は、フランスと日本の先例に倣わなければならない。


 相互的かつ全世界的な平和安全保障の体制のために国家主権の原則的制限に同意することはフランス的な自己了解を一貫して規定している。それは1950年代の欧州防衛共同体(EVG)への参加をめぐる闘争の例が示している。1954年にフランス国民議会はEVGへの参加を拒否した。ドイツ社会民主党もまた、EVG条約の批准を阻止しようと努力しカールスルーエ(=憲法裁判所)にこの件を提訴した。さらにこののち1966年から2009年のあいだフランス国民議会は、国連中心主義に立って、NATOへ完全に統合されることに抵抗し続けた。


 独仏友好は、明らかに、誤解の上に成り立っているもののように思える。NATOの批判者エマニュエル・マクロン大統領が、この間、NATOは「脳死」状態であると述べたのは、その証拠である。問題はこうである―連邦政府が「平和の組織化および防衛に必要な主権の制限に同意する」ことを妨げているのは誰であり、何なのか。


                  独誌「ルビコン」から。原文/独語・翻訳/阿部









閲覧数:21回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page