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SA9(Second Article 9) Campaign「9条を支持せよ」は、日本国憲法第9条を支持する決議案を国連総会で採択させるための運動をしています。

​SA9Campaign  代表幹事 阿部一智

 

 ロシアによるウクライナ侵攻について私たちがどう考えているかを語れば、それが私たちのことをもっとも率直に語ることになると思う。

 最初に言っておきたいのは、プーチンのこのたびの狂気の根底には、米欧のこの30年間の欺瞞的正義に対するすさまじい憤りがあるということである。

 この世界にはついに解消しえない敵対関係があり、平和を保つには互いの戦力を均衡させることによる抑止効果しか方法がない、という世界観がある。

 私たちは別の世界観に立ち、平和のためのもっとよい方法があると思っているが、こうした武力による平和という考え方―バランス・オブ・パワー(勢力均衡)という安全保障観―がそれなりに筋が通っていることは認める。しかし、問題は、それが、現実に機能するかどうかである。

 ほぼ30年前、ソ連が解体したとき、ワルシャワ条約機構は一瞬のうちに消滅したが、

NATOは残った。残ったどころか、その後も東方に拡大を続けた。

勢力の均衡は拡大局面でも縮小局面でもひとしく保持されなければならない。相手が増やすならこちらも増やすが、相手が減らすときはこちらも減らさなければならない。そうでなければ平和と安全の保証はありえないのである。冷戦終結後の米欧とロシアの関係はそうではなかった。

 そもそもソ連は西側諸国との戦争に負けたわけではない。自発的に社会主義体制を放棄し国の民主化に着手したのである。西側には支援が求められたが、それよりもまず第一に敬意が求められたはずである。しかし、西側諸国は、自分たちが戦勝国であるかのように、米欧中心の世界秩序を押しつけた。不思議なことに、それを世界中が黙認した。

 それでもプーチンは理性的にふるまっていた。機会あるごとに、国際社会に「非ブロック的な」安全保障機構の必要を訴えていた。最近では「大祖国戦争」勝利75周年のスピーチにそれがある。しかし、米欧はそれをことごとく無視してきた。言うだけ言わせておいて何ひとつ聞こうとしなかった。

 あまつさえNATOという純然たる軍事同盟があたかも国連憲章に定められた集団安全保障体制のひな形であるかのようなイデオロギー的すり替をやってのけた。1994年のドイツ憲法裁判所による裁定がその典型である。

 プーチンのこの度の蛮行がはしなくも示しているのは、勢力均衡型の安全保障体制を維持することは極めて難しく、わずかでも運用を誤れば、それ自体が戦争の原因になるということである。日本も他人事ではない。中国をもっぱら対象国とみなす準-軍事同盟を米国とのあいだに結んでいるからである。

 私たちSA9キャンペーンは集団的自衛権に基づく軍事同盟に代えて、国連憲章が定める普遍的な法と秩序にもとづく集団安全保障体制を構築するよう国際社会に訴えている。都内の各国大使館に出向いては、話を聞いてもらっている。話を聞いてもらえるだけでもありがたいと思わなければならない。しかし、国連総会で日本国憲法第9条を支持する決議案を提出してくれる国は、5年目にして、いまだにひとつも見つからない。

 私たちは「自由に言わせておいて何ひとつ聞こうとしない」見えない壁に直面しているように感じる。日本もそのひとつである「民主主義」社会の、今、私たちが一番嫌いなところがこの点である。

 プーチンの犯罪性に何ひとつ疑いがないことは認めつつも、その一点についてだけは、氏の気持ちが分からないでもない。 

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